貞松・浜田バレエ団

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貞松・浜田バレエ学園

バレエ団の歴史 History

創設者 貞松融と浜田蓉子の
あゆみ、出会い、
〜 バレエ団・学園 誕生編 〜

貞松融 代表貞松 融Toru Sadamatsu
神戸市出身。
法村康之、松山樹子、マリカ・ベゾブラゾヴァに師事。
フランス・モナコ・イギリス・アメリカ・中国に、研修及び短期留学。
'98年 舞踊文化功労賞、'08年 橘秋子賞・功労賞、'12年 文化庁長官表彰、'22年 第70回舞踊芸術賞。
浜田蓉子 代表浜田 蓉子Yoko Hamada
京都府出身。
江川幸一、貝谷八百子、松山樹子、マリカ・ベゾブラゾヴァに師事。
フランス・モナコ・イギリス・アメリカ・中国に、研修及び短期留学。
'08年 橘秋子賞・功労賞。

Sadamatsu貞松 融 Story

Hamada浜田 蓉子 Story

1932年

貞松 融、神戸で誕生

1938年

浜田蓉子、京都で誕生

幼少期〜終戦後

お国の為に戦争へ行くことを希望していた「軍国少年」だった

終戦を迎え、生きる目的をなくす

国に裏切られ、人間不信に陥っていった 音楽・演劇に出会い、世界が変わる

高校で入った音楽部で合唱の楽しさに気付き、
文化祭で取り組んだ演劇で演じる面白さに気付く

観客の反応が嬉しく、個性が認められたと感じる
合唱と演劇の楽しさが自分の中に育っていき、舞台芸術が大好きになる

『戦争で国や社会に裏切られたけど、
芸術は人を裏切らない!』

3歳から童謡舞踊を習うが、戦争でやめる

松竹歌劇団出身の先生に童謡舞踊を学ぶ

童謡にリンゴが出てくると、果物屋で持って踊りやすいリンゴを探すほど踊って表現することが楽しかった

小学校3、4年生頃から日本舞踊を習う

日本舞踊の蓉子(小学4年生)

1950年俳優座、文学座などの公演を鑑賞、演劇への想いが膨らむ

1951年東京の俳優座研究所に入るため、上京

1952年プロの役者への入り口が見えず、1年足らずで神戸に戻り、演劇仲間と「劇団人間座」を立ち上げる

バレエに出会い、新たに踏み出す

自宅前の摩耶小学校で学芸会の踊りの指導に来られていた法村友井バレエ団の法村先生に出会う

稽古が始まり、踊ってみると、自分の身体が躍動し回転し美しく舞い、顔と身体が生き生きとしていることに気づく
戦争時代、主役は飛行機、爆弾、銃…

『人間の大切な身体こそが主人公の世界なんだ!』

驚きと発見、感動が押し寄せる

バレエに魅了され法村先生の内弟子となり、住み込みでバレエ漬けの毎日を送る

バレエに専念するため「劇団人間座」を辞める

バレエ猛特訓
バレエに出会い衝撃を受ける

中学1年生 松竹歌劇団のバレエ講師 江川幸一先生のレッスンを見学に行き、プリエに衝撃を受ける
華やかに見えるのに『こんな地味なことからはじめるのか!』と、同時に憧れを抱く
ここから神戸女学院中学高校の6年間はバレエに明け暮れることとなり、それは蓉子のバレエ人生の始まりでもあった

1953年尼崎の地
でバレエ教育を開始

高校1年生 自宅の応接間で、近所の子供たちにバレエを教え始める

1954年高校2年生 習う子が増え、応接間では手狭になったため、家を改装。二間続きの畳部屋を板張りにし、バーをつけ、稽古場を作る 小さな公会堂で20名ほどの発表会を開催

1955年浜田蓉子バレエ研究所を創設

浜田蓉子バレエ研究所

高校3年生 東京の貝谷八百子バレエ研究所が大阪に支部を作り、卒業と同時に習いに行く

1957年法村友井バレエ団を一身上の都合により5年で退団 神戸の劇場で働く日々

松山バレエ団の神戸公演を観て、「もう一度踊りたい」と決意
上京し、飛び込みで入団を申し出る

松山バレエ団に入団後、地方への巡回公演に参加するうちに、 『兵庫、神戸… 我がふるさとの地にもバレエ芸術を!』
という想いが膨らみ、夢を実現させる自信を持つようになる

松山バレエ団巡回時代の融

1959年21歳の頃、父の東京転勤が決まったが、教え子を残して上京できないため、妹が高校卒業するまでの1年間を条件に姉妹二人で尼崎に残る

生徒の父兄が、家の裏の空き地に稽古場を立ててくれた

発表会
1960年「融・蓉子の出会い」

文化不毛の地という風潮があった神戸の地で
バレエ教育を開始

地元である神戸に戻り、家族や周囲の協力もあり、実家から譲り受けた空き地に稽古場を建て、貞松バレエ学園を創設

学園に生徒が集まりだしたころ、尼崎の浜田蓉子バレエ研究所から代役で舞台出演の依頼が舞い込む

断るために、浜田蓉子バレエ研究所を訪ねると、そのまま稽古場に連れていかれ、稽古に参加することに…

運命の作品に出会う

あらゆる公演を鑑賞する中で「コッペリア」という作品に出会い、
『今のバレエ教室にぴったりな作品だ。全幕に挑戦したい!』と思う
この挑戦が後の人生を動かすことになる

早速、実現するために動き始めるが、当時は資料がなかったため、貝谷八百子バレエ研究所の公演(名古屋・大阪)を観て、「コッペリア」の楽譜に書き込みをし、場面を覚えていった

本番の1週間前に、出演予定だった男性が出られなくなる

困り果てたその時に「東京でバレエをしていた男性が神戸で稽古場を立てようとしている」と聞き、急遽その男性に依頼
この人が “貞松 融” だった

「コッペリア」全幕が尼崎のアルカイックホールで無事に開催
融と蓉子、初めての共演となる

その後、お互いバレエ学園の発表会を助けてもらうなど交流
猛アタック
〔 融 〕
バレエに一生を捧げようと考える
『結婚するならバレエをやっている人がいい
良い仲間が現れた』
〔 蓉子 〕
一生バレエをやると決め、結婚する気は全くなし!
1962年「結婚」

浜田蓉子バレエ研究所と
貞松バレエ学園を統合し、
貞松・浜田バレエ学園を創設

貞松・浜田バレエ学園舞台(1964年)
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